こんにちは。
神山塾 KATALOGコース2期生の村川奈津子です。
7月から始まったコースももう終盤。
残りの期間を数えては、「時間が経つのは早い!」と思ったり、
半年前まではKATALOGコース2期生の誰のことも、
徳島や神山のことも何も知らなかったんだなと思うと、
「たった半年しか経ってないなんて信じられない!」と思ったり。
とにかく、なかなかないレベルの濃いメンバーたちと共に、
すったもんだしながらも充実した濃い時間を過ごしています。
そんな私たちがこの半年間、神山町で1番お世話になっているのが阿川地区。
3月に行われる梅まつりで有名な神山町の北に位置する地区です。
私たちが最初にイベント出店をした阿川夏祭り、
10月に旧阿川小学校体育館で行った神山塾文化祭。
また、講義やイベントで頻繁に通っている古民家ゲストハウス山姥や、
古民家改築のお手伝いに行かせていただいている山姥のオーナー・中山夫妻の別宅、
イベント時にいつもお世話になっている阿川かかしの28歩の会など、
この半年間を振り返ると、
「神山で過ごした時間の3分の2位は阿川地区にいたんじゃないのかな?」と思うほど、
阿川地区での思い出がたくさんあります。
【過去記事】
今回はその阿川地区にある二之宮八幡神社の秋祭りに参加させていただきました。
お神輿担ぎに参加!
2017年10月31日。
2週間連続で来ていた秋の台風が嘘みたいな晴天!
絶好の秋祭り日和でした。
二之宮八幡神社の秋祭りは毎年10月31日。
以前、この日に行われる理由をうかがったとき、宮司さんは
「きっと昔の人は、この日が雨が降らないって知っててお祭りの日取りを決めたんじゃないかな」
と笑いながらおっしゃってました。
久しぶりに青空をみると、その言葉にとても説得力があります。
秋晴れの下、阿川商店街に入ると、大きなのぼり旗が目につきます。
いつもは静かな二之宮八幡神社。
でもこの日は境内に屋台が4つ出ていて、
近所の人や、里帰りの方とそのお子さんなどもいて、
普段と比べるととても賑やか。
私たちが到着すると、ちょうど神様にお神輿へ移っていただく儀式が始まるところでした。
儀式が終わると商店街へ出発です。
お神輿を実際に担いでみると、予想以上に重く、
肩にずっしりと重さがかかります。
地域の参加者の方たちから、担ぎ手の減少や高齢化で例年はもっと重さの負担が大きいこと、
なんと女性がお神輿を担ぐのは、二之宮八幡神社の秋祭りの歴史上で私たちが初めてということ (!!) など色んなお話を伺いながら、商店街の入り口にあるかどやさんという商店まで歩きました。
かどやさんの前でお祓いをし、近辺のお宅の方と共にお神酒をいただきます。
その後4ヶ所で同じようにお祓いを行い、住民の方とお話をしたりしながら、
約150メートルの商店街を1時間ほどかけて、二之宮八幡神社まで戻ってきました。
最後に神様にお神輿から本堂へ戻っていただき、今年の秋祭りは終了です。
最高の天気の下、地域の歴史あるイベントに参加することができ、
(塾生によっては、とてもおいしいお神酒をいただくこともできて!)
とても良い1日となりました。
昔を懐かしむことのできる場所
商店街をねり歩きながら、
地域の方たちからたくさんの思い出話を伺うことができました。
二之宮八幡神社の秋祭りは、30、40年前まで徳島3大祭りの1つといわれていて、
商店街の両側が出店で埋まり、
県外からもマイクロバスで参拝客来るほど多くの人でとても賑わっていたそう。
宮司さんがおっしゃるには、二之宮八幡神社は馬と牛の神様が祭られている神社。
機械が今ほど普及していなかったころは、
田畑を耕したり、移動したりするには馬と牛が必要でした。
農家さんにとって、生活の基盤の大部分を馬と牛が担っていたということになります。
そのため、馬と牛はとても大切にされており、
遠方からも多くの方が馬と牛の神様にお参りにきていたのではないかとのことでした。
「昔はほんまにようけ人が来とってな〜」
「お神酒でみんな酔っぱらって、だんだんお神輿がまっすぐ進まんようになるけんな~」
「そうそう。両側にズラーって出店がでててお客さんもようけおるけん、
フラフラのお神輿がなんやもう突っ込みそうでな。
あれは危なかったな~」
「秋祭りがここいらで1番大きいお祭りやけん、
準備のある子は学校早引けできるんよ。
あれはみんなが羨ましがるんよね」
「本人も自慢げに帰って行くけんね~」
「馬もいっぱい来とった。
ほなけんお祭り中は馬糞もそこいらに落ちとってな」
「馬糞踏んだら足速くなるって言よったよな?」
「えー!? 知らんよそんなん。おまえだけちゃう?」
皆さん笑いながら、本当に楽しそうに、
うれしそうに昔の事をたくさん話していました。
地域の方とお話しをすると、
「昔はよかったけど、今は人が減っていて……」
という話をよく聞きます。
正直なところはじめの頃は、「創造的過疎」という言葉や、
サテライトオフィスや若くて先鋭的な移住者やアートなど、
日本屈指のイノベーティブな町と言われている神山町でも……?
と少し驚いていました。
でも神山で過ごす時間が増えるにつれ、
人によっては、今の神山町の盛り上がりに興味はあるけど入っていけてない方や、
自分たちとは遠い話になってしまっている方たちが多くいるということも、
少しずつ分かってくるようにました。
神山町も他の地方地域と同じように、
高齢化や過疎それに伴う有獣問題などを抱えています。
目の前の生活に直面している問題。
どんどん人が減って、若者がいなくなっていくことで感じる不安……。
普段の会話の中で、そういった言葉が多く飛び交ってしまうのもうなずけます。
今回の秋祭りでもそういった今の不安に関連するようなお話も聞きました。
でも、それよりもずっと印象的だったのは、
昔話をするみなさんのうれしそうな笑顔。
たくさんの人で賑わっていたころの神山町を私は知りません。
でも、何年経っても昔のことを語り合える場が、
仲間と交流する場が定期的にあるって、
すごくすてきで幸せなことだなって思いました。
「ある」と「ない」
ワーキングホリデー制度を利用して、
オーストラリアに2年間、アイルランドに1年間住んでいたことがあります。
この3年間は、たまたま訪れた気に入った町に住んで仕事をしたり、
それ以外は気の向くままに旅をしたりしていました。
オーストラリアにいたときに同じ職場で働いていた友人と、
よくしていた会話があります。
友人「There is nothing to do! (何にもない所じゃん!)」
私「It was SO beautiful! (めちゃくちゃ良かったよ!)」
友人「You should go there! There was so much fun and a lot of to visit spot!
(観る所がたくさんあってめっちゃよかったよ!すごいおすすめ!)」
私「Oh.. I have been there. It was too busy for me.
(あー、行ったことあるよ。人が多すぎて私にはちょっと合わなかったな。)」
彼女と私は「旅が好き」ということは共通していましたが、
自然豊かで落ち着いた場所が好きな私に対して、
彼女は観光名所や華やかな場所を好むタイプでした。
彼女にとって何もない場所は、私には魅力的な場所であり、
私にとって疲れる場所は、彼女にはとても楽しい場所となる。
お互いに好みが正反対であることを理解していたので、
上記の会話は職場のネタの1つとしてみんなで毎回笑いながら話していましたが、
この彼女との出会いは、
「たとえ同じ事に興味を持っていたとしても、何に魅力を感じるかは人それぞれなんだ」という、
当たり前だけど、見落としてしまいがちなことを再認識する良いきっかけとなりました。
地域の方たちに「なんでこんななんもないところに来たの?」
と聞かれることがよくあります。
でもその地域に住む方から見た「何にもない」が、
私にとっては「魅力がある」になることがたくさんあります。
私が東京を離れたのは「東京には何でもあるけど、何もない」と感じてしまったから。
人ごみが苦手な私でも、なぜか東京は別で帰ればやっぱりほっとするし、
楽しみ方もそれなりに知っているし、友達もいる。
それでも、東京の便利で先鋭的な「ある」より、
地方ののんびりとして静かな「ある」の方が今の私にはあっている。
だから地方に住む方法を探し始めました。
どこの場所にもそれぞれの「ある」があって、
ひとそれぞれの「ある」がある。
「ある」もの・ことを意識的にみていくこと。
それはポジティブでありたいということではなく、
今、自分の目の前にあるものを大切にすることなのかなと思いました。
地域創生ってなんだろう
徳島にくる前は、「地域創生」と言われてもいまいちピンとこず、
その地域に住む人や訪れる人を増やすことが地域創生なのかな、
と漠然と思っていました。
神山塾 KATALOGコースに参加して約5ヶ月。
正直に言って、来る前よりも地域創生とは何なのか、
わからなくなってしまいました。
それは、答えがたくさんあるから。
地域・自治体によって悩みも強みももちろん違い、
一言で「これが地域創生です!」と言いきれることはないと改めて知ったからです。
でも、今回の二之宮八幡神社秋祭りを通じて、
少しだけ、私なりに見えてきた地方創生のかたちがあります。
それは、「続けること」と「『ある』に目を向けること」。
今回の秋祭りに参加していた方の半分くらいは、
阿川地区外や神山町外からの参加とのことでした。
みんなの共有の思い出の場所があり、
その場所が必ず毎年1回開かれている。
そういった続いている場所があり、
受け継いでいる人たちがいるから、
外に出た人たちが平日にお仕事を休んでまで帰ってくることができる。
その地域に住んでいた人たちに共通の思い出があること。
その場所が受け継がれ、ずっと続いていること。
その地域の出身の人が、今住んでいる場所を問わずその場所へ行きたいと思うこと。
帰れる場所があること。
そして、そういう場所が「ある」ということに気がつくこと。
その場所をみんなで受け継ぎ、大切にし続けること。
それは地域創生の1つなんじゃないかなと私は思います。
私は自分の出身地や今まで住んだ場所に対して、
そういった思い入れを持ったことが、残念ながらまだありません。
だから、そういった場所と機会を持つ阿川地区の方たちをうらやましく思います。
また、それと同時に、きっと今までたくさんの「ある」を見過ごして、
何も「ない」と言ってきたんだろうな、と少し反省しました。
この先、放浪癖のある私がどこに住むのか、まだ私自身もわかっていません。
でもいつか私も、定期的に必ず帰りたいと思えるような、
自分の手で受け継いでいきたいと思えるような、
私にとっての「二之宮八幡神社秋祭り」を見つけたいと思いました。
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