アートと山と人と〜大粟山森づくりを通じて〜 | KATALOG
アートと山と人と〜大粟山森づくりを通じて〜

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ゲスト
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2017.09.06

こんにちは。
神山塾KATALOGコース2期の遠藤真森です。
入塾して早2ヶ月が過ぎました。
日々新しいことの連続で、あっという間に時間が過ぎてしまいます。

ずいぶん前の話で恐縮ですが、入塾6日後の7/9(日)、大粟山(おおあわやま)森づくりに参加しました。

大粟山森づくりとは、2004年12月からNPO法人グリーンバレーが
月1回行っているボランティア活動です。
徳島県名西郡神山町にある大粟山の森の荒廃を防ぎ、
本来の機能を取り戻すために整備を行っています。

活動に参加する前、「神山の森は間伐が足りていない」と聞いていたので、
てっきりチェーンソーなどを使って間伐していくヘビーな活動かと思っていたのですが、
この日はライトな森づくり。
大粟山に点在するアート作品(※)の補修や作品周りの草刈りがメインの活動でした。

※大粟山には神山アーティスト・イン・レジデンスで、
アーティストが神山を訪れた際に製作したアート作品が、所々に展示されています。

参加者が集合し、ゆるゆると何をするかの説明を受け、
流されるままに活動が始まりました。
まずは、スチュアート・フロストさんの作品の補修を手伝いました。

 

元の姿を想って

作品、補修中。(写真はイン神山の日記記事「7月9日(日)ライトな森づくりしました」中のもの)
作品、補修中。(写真はイン神山の日記記事「7月9日(日)ライトな森づくりしました」中のもの)

竹の板を組み合わせ、積み重ねて作られたこの作品。
雨風にさらされているので、時間がたつにつれて板が飛び出し、変形してしまいます。
補修では、飛び出た板をハンマーや大きな木の板で叩き、押し込んでいきます。
しかし、これが意外と難しい……。
全体的にでっぱりをなくしたいのですが、
一方を叩くと他方がでっぱることがあるのです。
バランスをみながら少しずつ凹凸をなくしていきました。

その後は「隠された図書館」の掃除をし、
地域のお母さんたちが作ってくださったたくさんのお昼ご飯を運搬しました。
雨雲が近づいてきたため、お父さんたちは山の中の広場に竹を渡します。
そこにブルーシートを張ると、あっという間に巨大なテントのできあがり。
ドシャブリの中でも濡れることなく、みんなで楽しくおいしくご飯をいただきました。

隠された図書館。
隠された図書館。
ドシャブリの中、食事。(イン神山の日記記事「7月9日(日)ライトな森づくりしました」中のもの)
ドシャブリの中、食事。(写真はイン神山の日記記事「7月9日(日)ライトな森づくりしました」中のもの)

この日の森づくりはこれでおしまいです。
徳島にも神山にも来たばかりで、何も知らないまま参加させていただきましたが、
神山という土地とそこに住む人の雰囲気を一部知ることができました。
ありがとうございました……と書くと締めの文章のようですが、まだ終わりません(笑)。

この森づくりを通じて、アート作品について感じたことがあります。

 

作品の一生

大粟山のアート作品『人間の時間を抱く等高線』。
大粟山のアート作品『人間の時間を抱く等高線』。

スチュアートさんの作品を補修しているときのこと。

黙々と竹の板を押し込んでいたのですが、
「こんなことしていいんだろうか」と、ふと思ったのです。
もしかしてこの作品は、風雨にさらしたままにして、
朽ちて自然に還っていく過程を見せる作品なのではないか……(竹という自然素材でできているし……)。

スチュアートさんの作品とカタツムリ。
スチュアートさんの作品とカタツムリ。

そういう意図で作られたものだとすると、とても素敵なアートだと思えました。
しかし、もしその通りであれば、自分が補修していることが、
製作者の意図に反する失礼な行為になってしまいます。
作者の思いを知らないまま補修することに不安を感じながらの作業になってしまい、
これに関しては帰ってからもモヤモヤしていました。

それから数日、頭の片隅でずっと気になっていたのですが、
アート作品について一つの解釈が思い浮かび、モヤモヤは晴れました。

大粟山にあるアート作品は神山を期間限定で訪れたアーティストが作ったもの。
スチュアートさんの作品含め、大粟山の作品は作者の手を離れ、
地域住民などが掃除・補修し続けることによって長い年月を山の中で過ごすことができています。
作者もそうなることはわかっていたはず。

だとすると、作者以外の人の手によって維持されていくというプロセスも、
アートの一部なのではないでしょうか。
そして、これらの作品の現在の姿は、
元の製作者と維持管理者の、いわば共同製作物ともいえるのではないでしょうか。

考えてみたら、美術館や博物館で展示されている作品、
神社仏閣などの古い建築物も同じかもしれません。
誰かが維持管理し続けているからこそ、
大昔に作られたものを僕たちは現在も楽しむことができています。
(補足・9/7追記)
グリーンバレーで神山アーティスト・イン・レジデンスや森づくりに携わっている杉本さんによれば、
スチュアートさんの作品は、実は未完成で、本当は外周に模様がついて完成するものだそう。
そのため、スチュアートさんがまたいつか神山を訪れるまで、
作品が制作された2014年の状態を保てるよう、このように手を入れているとのこと。
それ以外の作品は、ほとんど自然のままにしているそうです。

 

多くのヒトの手で

大粟山から見下ろした神山町。
大粟山から見下ろした神山町。

大粟山のアート作品の面白いところは、
維持管理がその道のプロの手によるものではなく、
普段はまったく別のお仕事をされている大勢の地域住民や、
僕たちのような外から来た人によって直接維持されていること。
そして、作品が山の中にあって、森づくりの活動の中で維持されていること。

結局のところ、作者の意図するところはわかりませんが、
多種多様な人の手によって今のアート作品があると考えると、
それはそれでとても素敵なことだと思えます。

ちょうどいま、今年度の神山アーティスト・イン・レジデンス(KAIR)の作家さんたちが神山を訪れています。今年度はどんな作品が生まれ、どのような形で維持管理されていくのか。
楽しみです。

【神山アーティスト・イン・レジデンス(KAIR)情報】

期間:8/24〜11/8

9/24:オープンアトリエ
10/29:アートツアー
10/29〜11/5:作品展覧会

▼in 神山 「神山アーティスト・イン・レジデンス」とは
http://www.in-kamiyama.jp/art/kair/

▼Facebookページ
http://www.facebook.com/pg/kamiyamaaritstinresidence

▼大粟山の森づくり活動について
in 神山 「7/9(日)ライトな森づくりしました。」
http://www.in-kamiyama.jp/art/diary/27183/

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