鎌田代表が描く、新しい地域の守り方
昨年末行われたBAMBOO総会では、徳島県で地域を盛り上げる活動をしている、一般社団法人「もりまちレジリエンス」の代表であり、地元で工務店を経営する鎌田晃輔さんにお話いただきました。
鎌田代表は、単に「家を建てる」だけでなく、地域の会社25社と手を取り合って、徳島の豊かな自然を守りながら、災害に強いまちを作るという大きな挑戦をしています。そこには、鎌田代表が経験した葛藤と、地域の仲間たちとの熱い物語がありました。
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ラグビー少年から工務店の二代目へ
鎌田代表は1976年生まれ。徳島市で育ちました。学生時代は勉強よりも、ラグビーというスポーツに全てを捧げていたそうです。大学卒業後、ちょうど世の中は「就職氷河期」と呼ばれる厳しい時代でした。鎌田代表は、お父様が徳島で営んでいた小さな工務店へ戻り、一緒に働く道を選びます。当時はご両親と鎌田代表のわずか3人でのスタート。当時はまだ「いつか家業を継ぐんだろうな」という、どこか他人事のような、のんびりした気持ちだったといいます。
「家を建てるだけ」では命を守れないと気づいた日
その後、社員を増やし、会社を大きくしていく中で、鎌田代表の人生を大きく変える出来事が起こります。2011年の東日本大震災です。
鎌田代表は、事務所のテレビで巨大な建物や美しい街並みが、一瞬にして津波に飲み込まれていく光景を目の当たりにしました。それまでは「頑丈でかっこいい家を建てれば、お客様を守れる」と信じて仕事をしてきました。しかし、目の前の映像は、人間の作った建物が自然の力の前ではあまりにも無力であることを突きつけていました。
「どんなに強い家を建てても、これでは嘘をついていることにならないか。本当に家族の命を守るには、家を建てるだけでは足りないのではないか」
この時の悔しさと不安が、鎌田代表を「まち全体の安全」を考える活動へと向かわせたのです。
防災活動で見えてきた「山」という根本原因
鎌田代表は震災後、すぐに「防災士」の資格を取り、自分の住む地域の防災活動に参加し始めました。しかし、そこには大きな課題がありました。活動しているのは70歳を超えるお年寄りばかりで、若い世代の参加がほとんどなかったのです。
「このままでは、いざという時にまちを守れない」と感じた鎌田代表は、地元の商工会青年部の仲間たちに声をかけました。建設会社、重機を扱う会社、そして木を切る「木こり」の会社。みんなで協力して、普段の仕事の中に「防災」を取り入れようと考えたのです。

まちを守るには、まず「山」を元気にすること
そこで気づいたのが、徳島の災害の仕組みでした。徳島では地震だけでなく、大雨による「水害」もよく起こります。山が荒れて、地面が水を吸い込めなくなると、鉄砲水となって一気に街へ押し寄せます。
つまり、街の安全を守るためには、街の中に高い壁を作るよりも、まず「山を元気に整えること」が一番の近道だったのです。
価値がないと言われた木を「ベンチ」に変える
山の木の中には、細かったり曲がったりしていて「価値がない」と言われ、捨て値で売られてしまう木がたくさんあります。これを「C材」と呼びます。鎌田代表たちは、この価値の低い木にあえて手間をかけ、「よりみちベンチ」という名前で商品にしました。
「そのままチップ材にしてしまうのではなく、ベンチとしてまちで使ってもらおう。ボロボロになったらまた山に返せばいい」
このベンチをまちに増やすことは、山にお金が戻り、木こりさんたちが新しい木を植えるための資金になります。私たちの身近にあるベンチが、実は山の土砂崩れを防ぐための手助けをしているのです。

家を建てる人、木を切る人、それを使う私たち。みんなが「地元の木を使うこと」を少し意識するだけで、まちはもっと安全になり、自然も豊かになります。鎌田代表と「もりまちレジリエンス」の活動は、そんな当たり前だけれど忘れがちな「つながり」を、もう一度私たちの暮らしに取り戻そうとしているのです。
「50年後、100年後の徳島が、今よりもっと良い場所であるように」
そんな願いを込めて、鎌田代表は今日も仲間の皆さんと共に、山へ、現場へ、そしてまちへと駆け回っています。
この記事を書いた人
澤田千尋
横浜スタッフ。神山塾9期を経てRELATIONの歌う広報担当。地域のよさや出会った人たちの魅力を発信しながら、これからの時代を生きるためのヒントをお届けします。シンガーソングライターとしても活動中。RELATIONと共に全国ツアーするのが夢!
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