KATALOG WEBをご覧の皆さん、こんにちは。
リレイション徳島スタッフの馬渕です。
今回は神山町のアドプト活動についての記事です。
何回も参加している活動なのですが、内容はゴミ拾いなのに、毎回いろんな気づきや、発見があり、実は毎回ワクワクして参加しています。
今回はそもそもなぜアドプトが神山で行われているのか、
・なぜ20年以上も続いてきたのか、
・なぜゴミ拾いなのにワクワク?
・その理由は?
改めて記事にしてみました。
Contents
なぜアドプトが神山に?
アドプトとは英語で「養子」という意味。我が子のように自分の町を維持していく清掃活動を中心にした美化プログラムです。
このアドプト・ア・ハイウェイ活動は、1985年、アメリカのテキサス州で始まった活動で、神山に導入するきっかけは、1989年にNPO法人グリーンバレー元理事長の大南さんが、アメリカのフリーウエイで偶然、この活動の看板を見つけて、活動内容に共感。
神山町に戻り、町を巻き込み、日本で初めて神山町でアドプトプログラムがスタートしました。
アドプトプログラムとは?→https://kankyobika.or.jp/adopt/adopt-program
神山プロジェクトの土台を作った2つの活動
このアドプト活動と、神山アーテイスト・イン・レジデンス(KAIR)が今の神山の発展へと繋がる、土台の活動になっています。認定特定非営利活動法人グリーンバレーが
神山を「クリーンな芸術村にしよう」とういう想いのもと、町民、民間団体が一つになって自分たちの考えた芸術家村構想(芸術)とアドプト活動(環境)を徳島県の「とくしま国際文化村構想」に提案、採択され、
・アドプト活動は1998年
・アーティスト・イン・レジデンスは1999年
それぞれが走り出しました。以来休むことなく町民の手、ボランティアによって運営されています。
活動を支えるニコライさん
いきなり「ニコライさん」なる海外の方の様なお名前の方が登場しましたが、この両方の活動を支える通称ニコライさんとは、神山町鬼籠野出身の河野公雄(カワノキミオ)さん。元銀行マンです。
グリーンバレー発足時からの初期メンバーで2011年〜2016年には事務局長を務められていました。今は森づくり、アドプト活動のメイン担当、KAIRのお手伝いもされています。
神山のイベント情報などをお知らせしてくれるメールグループの運営もされていて、神山内ではどんなSNSよりも集客効果があるお知らせ記事になっています。これも銀行マン時代の文章、報告書作成の経験を生かして、書いておられるんじゃないかと私は感じています。時にはダジャレも盛り込まれたニコライメール、毎回このメールを楽しみにしている神山の方も多いはずです。
アドプトは基本的に偶数月に1回、週末の午前中に1時間半程度おこなっていて日程が決まれば、メールグループに流してお知らせがあります。グリーンバレーのHP、イン神山にも掲載されています。少ない時は4.5人、多い時で20人位、平均10人前後で、その時集まった人たちで行います。
私が思うワクワクの理由の1つ目!
その時行ってみないとどんな人が来ているのかわからない楽しみがあることです。全く知らない人が来て自己紹介をしてどんな活動されているのかお話したりする楽しみがあります。
アドプトの出会いから仲良くなりランチをしたりお家にお邪魔する友人もできました。
高い理想は持って数年
ゴミ拾いについての高い理想は、持って数年、ゴミ拾いは、そもそもやりたくないことのはずだから、お話しながら見つけたゴミを拾いましょう、という程度で丁度いい、とニコライさん。ダラダラではなく、パッと終了するのも長く続いている秘訣なのかもしれません。
小さくても自分のできることをやる
「みんな、自分の家の周りは綺麗にするのに、住んでいる町は綺麗にしないのはおかしくない?人間は綺麗なところの方が快適に過ごせるはず。環境問題がどうとか、プラスチックゴミがどうとか、海の汚染とか大きなことをどうにかしようとするんじゃなくて、まず身の回りの自分のできることをするっていうのが大事だと思うけどな」とニコライさん。
アドプトの会話の中で、「やりたいことあるんですよね」と、話すと、「それやりたいなら、この人に聞いてみれば?」や、「あの人それできる人探してたよ」など、何かが始まるきっかけが生まれるのを何回も耳にしました。
単純に一緒に遊びにいく約束が出来たり、畑をされてる方から旬のお野菜を頂いたり、終わった後の何気ない会話の中から、発見がいつもあるのがアドプト活動です。
目立たない準備も実はニコライさん
アドプト前の、ゴミ袋やトングの準備、終わった後のは分別したゴミを役場まで持って行って最終捨てる作業など、目立たない準備や最後の片付けを実はニコライさんがされているのを知っている方は少ないかもしれません。
目に見えたり、目立たないところで準備や対応してくれている方が、実は一番大変だと一緒にゴミを捨てに行くたびに私は感じています。
それを役目役割だと片付けてしまうのは簡単です。もちろんニコライさんも嫌々されていることだったら続けていないことだと思います。
「みんなでゴミを楽しく拾って自分たちの周りがクリーンになれば、気分ええでな〜」
とコアメンバーの粟飯原康史さんや、國子さん、杉本さんはゴミを分別しながら声を揃えて話してくれます。
世界の神山
ここ数年の神山は、大きく変化しています。大きな新しいプロジェクトがスタートし、日本を超えて世界の神山となっています。
そんな神山の礎となった活動を改めて振り返り、見えていない部分で神山を支えて下さっている多くの方に本当に感謝です。もちろん実際している皆さんが、やらないといけない、とか、やらされている、という、気持ちでしていないことが素晴らしいし、凄いことだなと思います。
体力や性別も関係なく、誰でもできるゴミ拾い。
今日は誰が来るのか、どんな会話が生まれるかな?とゴミを拾いにワクワクして私は今後もアドプトに出かけて行きます。
この記事を書いた人
馬渕直子
京都府のはしっこ、海の京都と言われる京丹後市出身。神山に来るまでは京都市内で栄養士・調理師・管理栄養士として「食」に関わる仕事に携わってきた。神山塾14期に参加するため、2022年8月に徳島に。料理を作ることも、もちろん好きだけど、何より食べることが大好き!旅が好きで行った先の、知らなかった食材を買ってきて調理したり、地元の方に教えてもらいながら郷土食を作ったり、その土地に根ざした「食」「ローカル」「田舎」「暮らし」が自分の中のキーワード。今までは栄養士として食のサポートをしてきたが、これからは「食べること=生きること」と捉え、自分が神山で変化できた「ワクワク生きるため」のサポートをしたいという想いでリレイションへ。
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