皆さま、こんにちは! 渋谷です。
徳島県神山町も雪が降り、いつ凍るんだろうか……と雪道の通勤を心配する日々です(笑)。
東北出身の私は、「寒いの強いやろ!」と言われることが多いのですが、
東北は暖房が完備されているため、寒さにはあまり強くありませんし、
雪道の運転も高校生の時の教習所以外ではありません(笑)。
さて、今回は神山塾生期間中に私が行ったスモールプロジェクトに関してお伝えしていきます。
スモールプロジェクトとは、神山塾での塾期間中に学んだことや気づきをもとに、
塾期間の集大成として地域で個々に表現したいことをプロジェクトにしていくというものです。
塾生のなかには、民泊でお世話になった家のお風呂の改修、
日常で見つけた草花に一言を添えて冊子を作成、
今後起業するための企画など内容はさまざまです。
そんななか、私は「渋谷食堂」を1日限定で開店することにしました。
渋谷食堂
まずはじめに、「渋谷食堂」とは、私の実家のある福島県でひぃばあちゃんが切り盛りしていた食堂のことです。私が生まれた時にはすでに亡くなっていましたが、働き者で一生懸命な人というイメージだけがありました。
会ったことのないひぃばあちゃんの話をちゃんと聞いたのは、大学4年生の夏休みに実家へ帰省した時のこと。
いつも遊びに行く近所のおじちゃんと話をしていると、私のことを「ひぃばあちゃんに似てるなぁ」と何か思い出したように話をしてくれました。
話によると、よく笑い、よくしゃべる人で、ひとりで食堂を切り盛りしながら、
お祭りやイベント時には出店をするためあちこちへ飛んで行っていたとのこと。
じぶんと重ねてみると、よく笑い、よくしゃべる、高校生の時から今でも出店のバイトをしている……とほぼ共通していました(笑)。
でも、なんだか照れくさくて、おじちゃんに「そうかな?」というと、
「似てるべ~。ちゃきちゃきしてて話すのが好きで、よく笑うべした」と笑いながら言われてしまいました。
その話を聞いてから、当時の食堂の様子を想像してみました。
店内はなんてことのないよくある食堂。
来てくれる人たちは、工場で働く人や営業で外回りをしている人、理容室で働く人、
ひとりで来たり、職場の人と来たり、家族で来たりときっといろんな人が通っていたんだろうな、と。
近所の人から話を聞き、会ったことのないひぃばあちゃん、行ったことのない渋谷食堂を想像して、
じぶんの中でふわっとしていた「将来は食堂を営みたい」という目標の進む方向が決まってきた感じがしました。
とはいえ、自分で営む食堂は、最後の仕事にしたいという気持ちがありました。
それまでは、世の中の荒波に揉まれながらも……(笑)、
やったことのないことや興味を持ったことに挑戦し、さまざまな人との出会い、
経験を通して視野を広げていきたいため、「今すぐ食堂をしたい!」というわけではありませんでした。
そんな中、神山塾の集大成として行うスモールプロジェクトで何をしようかと考えたとき、
「食堂を営むのもやったことのないことだ!」と思い、
曜日でお店が替わるシェア食堂の「梅星茶屋」をお借りして挑戦することに。
“日常にとけこむお店”
当日は、開店時間まで「食べに来てくれるかな……」と不安でしたが、
開店と同時に「来たよー!」と知った顔がドアから見えて、一気に気持ちがゆるみました。
店内は席が大きく3つに区切られているため、来てくれた人同士が自然と相席になるような仕組み。
特に席の案内せず、「こんにちはー!」とだけ挨拶をして、料理をお皿に盛りながら、
ふと客席をみると、別々に来たはずの人たちがいつの間にかみんな同じテーブルで待ってくれていました(笑)。
そこへ順に定食を持っていき、「お米は植田さんとこので、野菜は佐野くんとこのだよ」と声を掛けると、
その場にいた植田さんと佐野くんは少し照れくさそう。
ほかのみんなは「そうなんだ!」「いただきます!」などと一気に、にぎやかな時間になりました。
来てくれた人のあいだから、「久々にゆっくり話せるねー!」という声が会話の中から聞こえてきて、
なんだか私がうれしい気持ちに。
そのあとも、仕事の休憩時間が終わるまでそれぞれの時間を過ごしてくれていました。
お昼のワイドショーが流れる店内、ごはんを食べながらする他愛もない会話、食べ終わったら仕事へ戻る人たち。
別々に来て、別々の所へ戻るのに、最初から一緒に来ていたかのような雰囲気を感じました。
なんとか1日限定の「渋谷食堂」も終わり、片づけをして家に帰ると、
「ごちそうさま!ありがとう。」
「幸せな気持ちになったよ。またやってね!」
「ほっこり、優しい味付けで美味しかった!!」
など、うれしい連絡が届きました。
私のほうが「ありがとう!」「幸せな気持ちだった!」と来てくれた人たちに伝えたいくらいなのに、
そう思ってくれるなんて本当に良い1日だったな、と思いました。
読みながら、当日のこと、当日までの準備のことを思い返していると、
ほっとして気が抜けるというよりも、あっという間だったなという気持ち。
それと同時に、今回の改善点を、次はどうしていこうかと、
まだ未定の予定に向けて気持ちが高まっていました(笑)。
受け継いでいく場所
今回、「渋谷食堂」をやる上で、私の中で大切にしていたことの2つを実行してみました。
1つ目は、食材は“近いもの”をつかうということ。
神山町産のもの、徳島県産のもの、四国産のもの……と「近い地域」で採れた食材を使うのはもちろん、
そのなかでも「関係性が近い人」が育ててくれた食材をつかわせていただきました。
例えば、主食であるお米は、水路清掃から稲刈りまでをお手伝いさせていただいた江田のお米。
野菜は、同じ神山塾生だった佐野くんの実家や、神山に来てから収穫のお手伝いをさせていただいた地域の方の野菜。
顔が見えるだけではなく、つくり手の想いや食べてくれた人の反応を伝えることができる距離で食材のやり取りをしたいという想いから実行しました。
事前に献立表に産地を記入しておき、当日も定食を運んで行くときに一声かけることで、
すべてを伝えることはできなくても、それぞれの想いや反応を少しでも伝えることができたのではないかと思います。
2つ目は、“日常にとけこむ空間”ということ。
「昼休みに仲間たちとごはん食べに行こうかな」
「ご飯は家で食べるけど、帰る前にちょっと寄って帰ろうかな」
「今日は、あの人が居る日だから遊びに行こうかな」
店側が特別なことをするわけではないけれど、来てくれる人それぞれの日常にとけこむような食事の時間、
あたたかい空間になればいいなという想いがありました。
当日は、職場の人と来てくれたり、農作業からの帰りに顔を出してくれたり、
来ていた人へ「いると思ったんだよね!」と言っていたり。
「あれ?」と思うほど、実現していました(笑)。
この空間が実現できたのは、「梅星茶屋」という、普段から食堂やイタリアン、お好み焼きなど日替わりでお店が開かれていて、神山町の人たちになじみのある場所でできたことがいちばん大きいんだろうな、と思います。
それでも、手伝ってくれていた人がまかないを食べながら「今日は渋谷食堂のお客さんたちだったね」と、
ぼそっと話してくれたことが、今でも残っています。
その日その日でお店も来る人たちも変わる場所だけど、そこで「渋谷食堂らしさ、私らしさ」が少しでも出せたのかなと、少しだけ自信になりました。
昔から、家業を継ぐなら実家に戻るのが当たり前とされているし、私もそう思っていました。
しかし、今回の挑戦で「家業を継ぐ=実家」ではなく、「家業を継ぐ=自分の場所」も良いのでは? と新たに考えることができました。
実家の福島じゃなくても、少しかたちが変わっても、想いや雰囲気を新たな土地で受け継いでいくこともできるという実感を得ることができた時間でした。
それでも、ひぃばあちゃんが長年営んできた食堂を受け継いでいくには、知識も経験もまだまだです(笑)。
今回、1日限定として開店しましたが、また不定期で「渋谷食堂」を開店します。
どんどん挑戦して試行錯誤をしていきますので、皆さま、どうかお付き合いください!
《こちらの記事もどうぞ》
渋谷がリレイションの「食・暮らし」担当として、ゲストハウス山姥で食事を提供したときのこと。
「知る・触れる・食べる」-食から得た気づき-
「渋谷食堂」で使用した江田のお米の収穫の様子。
受け継いでいく者のひとりとして-江田集落での稲刈り作業-
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