ネコのように生きるには-神山塾の半年間- | KATALOG
ネコのように生きるには-神山塾の半年間-

ネコのように生きるには-神山塾の半年間-

ゲスト
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2017.01.09

はじめまして
昨年末に無事、神山塾KATALOGコースを修了した林です。

私は神奈川県の湘南出身で、20代後半、女性です。
神山塾に参加するまでは、東京で8年ほど暮らしていました。
今は故郷の神奈川県で山と海に囲まれた環境のなか、この文章を書いています。

私の最近のマイブームは散歩です。
徳島ではほとんど車で移動していたため、関東に戻ってからはその反動からか、
やたらと歩くようになりました。
湘南の街を歩いていると、うっそうと覆いかぶさるような神山の杉林が懐かしくなります。
手で積み上げられた神山独特の石積みも、こちらでは見かけません。
ただ、これまで見知っていたはずの湘南の街でも新しい建物が建っていたり、
知らなかった風景に出逢えたり。気づかなかった街の一面や変化を知っていくのは、
新鮮で面白いです。

神山塾で過ごした、半年間。

たった半年でしたが、これまでの人生で味わったことのないくらい、
刺激に満ち溢れた日々でした。
今回は、神山塾に興味のある方に向けて、卒塾したばかりの神山塾生の目線から
神山塾の内容や神山町での生活などをご紹介します。

 

大切なことはすべてネコが教えてくれた……
かも?

古民家「山姥」の先住ネコ、シロさん。
古民家「山姥」の先住ネコ、シロさん。

神山塾で一番印象に残っていることは、さっそく塾の内容でなくて恐縮ですが……。
ネコのシロさん(♀)です。
私が神山町滞在中に住んでいた古民家「山姥(やまんば)」の主です。

ちなみに、シロさんはベトナムのご出身。山姥のオーナーの中山ご夫妻に連れて来られて、
すでに
10歳以上のお歳を召していらっしゃるのだとか。

人懐っこいネコで、人が来るといつでもニャーと迎えて、膝に乗ったり、手を舐めたり。
初めは少し人見知りすることもありますが、一度慣れると朝から晩まで、そばに寄って話しかけてきてくれます。
シロさんが迎えてくれると、神山塾生や地域の方たちもたちまち笑顔になってしまいます。

ネコから学ぶのはちょっと変かもしれませんが、シロさんのように自分本位で生きるのは楽しそうだなと思い、塾期間中はやりたいことや会いたい人など、とにかく自分から動くようにしてみました。
すると、それまでよりも日々の生活が驚くほど楽しくなっていきました。

そして、神山町をはじめ、徳島や四国の人はみんな懐が広い! です(笑)。
「お接待」(お遍路参りをする人に、地元の人が無償で食べ物や泊まる場所などを提供すること)の文化が根付いているからか、笑顔で受け入れてくださり、人の輪がどんどん広がります。
しかも、みなさんたくましくて、何でも自分でやりながら楽しそうに生きている人が多いように思います。

たとえば、山姥のオーナーである中山ご夫妻は、家やお茶室までご自身で建てて管理されていらっしゃいますし、
伝統的な藍染を復活させて、それで生計を立てようと奮闘されている若手の方々にも出逢いました。

また、神山に遊びに来られる方々もとてもパワフル。
住んでいる地域の文化や街の景観を継承しようと、新たに事業を計画されていた社長さんや、田舎で働くことに興味を持ち、自ら地域に飛び込んで農業を始めた若者など。
自分で考えて選択し、行動している人が多かったです。

何か、誰か、機会が変わるまで待つ、というのではなくて、自分から飛び込んでいく勇気。
その潔さをネコのシロさんや、出逢った方々から学ばせてもらった気がします。
神山は、力強いエネルギーを持った人が集まっているという印象でした。

 

都内の暮らしと神山塾の暮らし

築200年近い古民家「山姥」。塾生3人で共同生活を送っていたほか、ゲストハウスとしてお客様の宿泊用の部屋も。
築200年近い古民家「山姥」。塾生3人で共同生活を送っていたほか、ゲストハウスとしてお客様の宿泊用の部屋も。

先述のとおり、私は神山塾に参加するまで都内で8年ほど一人暮らしをしていました。
出版社で編集記者として社会人生活をスタートしましたが、身体を壊して1年ほどで退職。
その後も事務職などで働きつつ、今思えばずっと何か満たされないような、
周囲に不満を持ちながら生きていたような気がします。
都内で暮らしていた頃の私は、下手に人間関係を築いてしまうと何かを期待されて、
仕事も面倒な付き合いも増えると思い、自分の時間はなるべくとられたくないと考えていました。
そのため、生活は職場と家の往復になりがちで、
「自分がここにいてもいなくても変わらないのでは?」
と思うくらい、人と関わらないようになっていました。

そんななか、神山塾に応募したきっかけは、
もともと
地域で暮らすことに興味があったことと、
「将来は東京ではなくて自然に囲まれた田舎に住みたい!」
と漠然と思っていたことが理由です。
何度も神山塾や徳島の移住に関する説明会に足を運び、迷った末に応募しました。

私が今回神山塾で活動したのは、2016年7月から12月末までの半年間です。

その間に、地域のイベントの企画や、草刈り・田植え・芋掘りなどの農作業、
古民家の修繕や地域広報物の制作などを主に行っていました。
時には川遊びや滝にピクニックに行ったり、神山町のアーティスト・イン・レジデンスで製作された作品を観に行ったり。

川は底が透けるほど澄んでいて、足をつけると小さな魚が寄ってくる。
川は底が透けるほど澄んでいて、足をつけると小さな魚が寄ってくる。

これまでの会社の組織と違い、神山塾生は、良くも悪くもフラットな関係です。
年齢も
20代前半から40代前半までと幅広く、前職や出身などの背景もバラバラな12名で活動していました。
誰かが上から指示をしたり、みんなの役割を振ったり、なんてことはありません。
そのため、必然的に話し合いは長くなり、衝突することもありますし、話がまとまらないこともあります。
たとえば、イベントの企画では最初のコンセプト決めから揉めたことも。
ことばのニュアンスや、漢字の語感などは個人の価値観に左右されるところも多く、意見がぶつかり合いました。
ただ、その分、各人の価値観や特徴も早い段階で分かり、それぞれの強みを活かす役割もみんなで考えていくようになっていきました。
イベントでは共に創りあげていくことの難しさを知りましたが、
その難しさや壁を乗り越えて達成したときの喜びは格別です。
人間関係のつながりも強くなったような気がします。

 

普段の暮らしはまるで“昔話のおばあさん”

山姥から見た夕日。これも何気ない景色の一場面。
山姥から見た夕日。これも何気ない景色の一場面。

滞在していた古民家の山姥では、山や川に囲まれた環境のなか、
四季を感じながら夕日が沈むのを眺めたり、夜空の月や星を眺めたり。
山姥で共同生活を送っていた塾生には信じてもらえませんでしたが、
夜空の星に交じって何度かゆらゆら揺れるUFOのようなものも見かけました(笑)。
冬場は五右衛門風呂や薪ストーブのために、薪を焚きつけるのも大事な日課。
まるで昔話に出てくるおばあさんのように、のんびりと暮らしていました。

山姥の暮らしは、自然豊かな環境ももちろんですが、周りの静けさが心地良かったです。
秋の夜長には牡鹿の求愛(?)の声が響き渡ってうるさかったですが、
普段は川のせせらぎが聞こえてくるぐらいで夜も暗く、都会に比べて断然に闇が濃いです。
その暗さがなぜか落ち着きました。

神山の山暮らしの生活は、自分の五感を研ぎ澄ませてくれたように思います。

 

塾以外の時間で何をするか

普段の塾の活動時間は、早くて9時半から始まり、遅くても17時には終わります。
イベント間際などは自主的に残って作業もしましたが、
強制ではなくて自分たちの意思でやること。
神山塾では特に、塾時間以外の時間で何をするのかが大事になります。

私は普段、のんびりと“昔話のおばあさん”を満喫しながら、
絵を描いていることが多かったです。
小さい頃から絵本が好きで、趣味で絵本を描いているのですが、
塾の期間中も日によっては夜中遅くまで描いていました。

神山塾の終盤には「スモールプロジェクト」という、各人が個人的にやりたいことや
今後取り組みたいことを企画する期間があります。
私はその期間中にほかのアーティストの方と一緒に、絵の展示をさせていただきました。
今振り返ると、その展示が神山塾の期間のなかで1番大切な思い出、経験になりました。

展示の様子。神山での出逢いをモチーフに描きました。
展示の様子。神山での出逢いをモチーフに描きました。

私は社会人になってから美術学校に通い直し、今でも当時の仲間たちと展示会を開いていますが、
神山塾に参加する前までは、絵で仕事をするという覚悟はありませんでした。
でも、スモールプロジェクトでの展示や、広報物で絵やデザインを任せてもらううちに、
誰に何を言われようと続けたいもの=絵本だと実感できたことで、ようやく動き出す決意ができました。

それも、神山塾で向き合えた期間があったからこそ。

今後はマイペースに、夢へ向けて動き出そうと思っています。
展示にご来場いただいた方や塾生のみんな、リレイションの社員のみなさんに夢を後押ししてもらったこと、
ご協力いただいた方々や応援してくれる仲間にとても感謝しています。

塾時間以外の活動例ではほかに、地域の方と一緒にかかし作りをしていた塾生や、
ブレイクダンス教室に参加して趣味の幅を広げていた人もいました。

この春にかばん屋さんとして起業する予定の塾生は、地域の人づてに土地や工場、材料などを集めて着々と準備。
山暮らしをしたい塾生は、実際に山暮らしをしている先輩たちのもとへ、
農作業のお手伝いに行ったり、
鹿肉のジビエなどを分けていただいたりしながら、交流を深めていました。

そのほか、ハンカチや箸を藍染めしたり、たまたま知り合ったれんこん農家さんの畑でれんこん堀りをさせていただいたり。
徳島マルシェに行ったり、上勝町でのゆこう狩りをしたり……と、
時間がいくらあっても足りないと思えるほど、塾生は塾時間以外でも何かと動き回っていました。

 

ネコのようにしなやかに生きるために

自分に素直に生きることが一番幸せだと教えてくれたシロさん。
自分に素直に生きることが一番幸せだと教えてくれたシロさん。

半年間神山で過ごすうちに、少しずつ神山塾の塾生間でも関係性が育まれてきて、
イベントや農作業、地域広報物の制作を毎日行っていくなかで、自然と笑顔も増えていきました。

私自身で何より変わったことは、これまで毎朝起きると「会社に行くのが億劫」と感じていたのが、「今日は何が起こるかな」と前向きに思えるようになったこと。

人から与えられることをこなすのではなく、自分からやりたいと思えることが増えていったことも、
大きな変化でした。

神山は不思議な環境で、人付き合いで回っているところもある気がします。
神山や徳島の人たちの温かさに触れて、さまざまな生き方を知ると同時に、
「この人たちの役に立ちたい!」とも思うようにもなっていきました。
人生は一度きりだからこそ、自分のやりたいことを、一緒にいたい人たちと、
好きな場所でやっていけたら幸せだな、と。
しなやかに、自分本位のシロさんのように生きてみるのも良いなと思えるようになりました。

自分の暮らしや生き方に迷ったら、この原点に戻ってきたらいい。
神山はそんな風に思わせてくれる場所です。
神山の先人方は、何でも自分で切り開いた方たちで、後ろ姿も格好良い。
シロさんみたいに人懐っこく関わりながら、将来はそんな人たちの一員として生きていきたいです。

 

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