曖昧なものづくり-神山町の靴職人リヒトリヒトカミヤマ-

曖昧なものづくり-神山町の靴職人リヒトリヒトカミヤマ-

小松 輝
小松 輝

2016.09.29

みなさん、こんにちは。インターンの小松です。

突然ですが、最近、外に出て歩くことが楽しみになりました。
というのも、つい先日、神山町にある「LICHT LICHT KAMIYAMA(リヒトリヒトカミヤマ)」というオーダーメイドの靴屋さんにお願いしていた革靴が、出来上がったのです。
この靴は、デザインが自分好みなのはもちろんの事、中敷きが自分の足裏の形に合わせて作られているため、すごく歩きやすいんです! 自分の足に合った靴を履いて歩くと、自然と姿勢もよくなったような気がします。

ハンドメイドで作ってもらった自慢の一足。
ハンドメイドで作ってもらった自慢の一足。

この革靴を作ってくださった方は、金澤光記さんという男性。
去年の1月にリヒトリヒトを訪れて、その時に初めて靴職人という肩書きの人に出会いました。
ものづくりに興味があった当時、工房に押しかけて作業風景を何時間も横に座って見学させてもらったこともありました。
「職人」というとなんだか硬派なイメージがあると思いますが、金澤さんは全くそんなことはなく、来るもの拒まずといった柔らかい雰囲気の方で、気さくに僕の質問に答えてくれました。
その時から僕は、神山町で金澤さんに会うのが一つの楽しみとなっています。

今日のKATALOG WEBでは、そんな金澤さんのことを皆さんにもご紹介したいと思います。

 

曖昧な靴を作りたい

足に障害を持った方の足型を片手に、整形靴の説明をしてくれる金澤さん。
足に障害を持った方の足型を片手に、整形靴の説明をしてくれる金澤さん。

「リヒトリヒトカミヤマ」を営む金澤さんは、KATALOG WEBでも度々登場している、「神山塾」を経たのちに起業されています。
僕がまだリレイションスタッフになっていなかった、第6期卒塾生。もともとは愛知県出身で、神山塾が一つのきっかけとなって神山町で起業することになったそうです。

現在は、これまでの経験を活かして、整形靴(足に障害を持つ人の靴)と一般靴の両方を製作できる靴職人としてオーダーメイドの靴屋を営んでいます。
金澤さんは、専門学校へ通っていた時に整形靴を作る勉強をされてきました。けれど、機能面に特化するあまりにデザインが重要視されない整形靴に違和感を覚えたそうです。

金澤さん 整形靴と一般靴を曖昧にしたいと思ってる。僕のお店では、整形靴も一般靴も作れるんだけど、ここは整形靴のお店ですよとも、一般靴のお店ですよとも言わずに曖昧にしたい。

もちろん、どちらかに特化したほうが利益も上がるし仕事もやりやすくなるんだけど、それよりかは曖昧なものが世の中にあったほうがいいって思っていて。だから、自分がちょっとしんどくてもこのやり方を貫きたい。

小松 「曖昧なもの」。それは、どういうことでしょう?

金澤さん 学校を出て、日本の整形靴業界で働くことに悩んだことがきっかけでドイツの靴会社へ修行に行ったんだけど、その先での経験が、リヒトリヒトでの靴作りに大きな影響を与えてくれた。

そこでは、整形靴と一般靴の両方を分け隔てなく作っていた工房があって。
どの靴もお客様が履きたいと思えるようにデザインがされていて、なおかつその人の足にあった靴を普通に作っていた。

普通に作るっていうのは、靴をパッと見たときに、整形靴だってわかるものじゃなくて、普通の靴に見えるように工夫をすること。それを見た時に、整形靴か一般靴、どっちかっていう隔たりのない曖昧な靴を作る店を持ちたいと思うようになったのかな

 

神山町の人たちが背中を押してくれた

仮縫いの靴を加工しているところ。
仮縫いの靴を加工しているところ。

ドイツでの1年間の修行後に、日本に戻ってきた金澤さんは、経験を積むために整形靴を作る仕事に携わりながら、独立したいという思いをずっと持ち続けていました。そんな折に、神山塾を知ったそうです。

金澤さん 店を構えるというか、靴に関わる何らかの仕事で独立したいとは思っていた。
けれど、靴を作る技術は上を見ればまだまだだったし、経営の知識もなかったからうまくやっていける自信もなくて。とりあえず、ここへ来て悩んでみようと思って飛び込んだって感じかな。

神山に来たら色んな人に出会えるし、自分の固定概念が変われば、
何か新しい取り組みができるんじゃないかって。
当時の自分の中では、5年間必死にもがいて、それで独立できなかったら名古屋に帰ろうと思っていた。
でも、意外と早くできちゃって自分でも驚いてる(笑)

小松 (笑)。思っていたよりも早くできたんですね。起業しようと決意した、きっかけみたいなものはあったんですか?

金澤さん 今振り返って思うと、自分の中での「独立して仕事をやりたい」っていう気持ちに変化はなかったんだけど、周りの「やっちゃえよ」とか「できるんじゃない?」みたいな雰囲気が背中を押ししてくれたんだと思う。

神山町には独立をして、チャレンジしている人はたくさんいたし、そんな人たちから刺激をもらったことがたくさんあった。気軽に経営のこととかを相談することができたりして、その環境のおかげで独立することを身近に考えるようになっていったのかな

 

神山町で靴を作る意味があった

作業場から道路が見渡せる間取りの店舗。
作業場から道路が見渡せる間取りの店舗。

小松 初めからここで、店を構えようと思っていたんですか?

金澤さん いや、あんまり場所は関係なかった。特に神山町にこだわっていたわけではなくて。
どちらかというと立地的な面からして、この町まで人が来てくれるか不安だった。
でも、今の店舗を教えてもらった時に、お店をやってる感じがイメージできたんだよね。

たまたまだったというか。
あとは、ここの家賃も安いから、バイトとかで食いつなぎながらいろいろ試していけるんじゃないのかなぁとも思えたっていう理由もあったかも

小松 今の場所を教えてもらっていなかったら、神山町にいなかったかもしれないんですね。

金澤さん そう。だから、神山町でやる意味ってなんだろうなぁと思っていたんだけど、
靴って作るのに何回も通わないといけないんだよね。
ここにお店があることで、神山町に来るきっかけを作ることができたら、ウチに寄っていくだけじゃなくて、ご飯食べて帰ろう、とか何か買って帰ろうってなるかもしれない。
ここに店があることで、人の行き来が増えることにつながれば、そこは神山町っていう過疎が進む町で靴屋をやる一つの意味になってるんじゃないかな。

あと、これはすごい自分にとってやりがいだなって思えることがあって。それは、神山町の子どもたちに靴職人っていう仕事があることを伝えられること。

毎年、小学校4年生が、職業見学でウチに来てくれるんだけど、僕の仕事の楽しみだったり、どういうことを考えてお客様に靴を提供しているのかっていうこと話させてもらっているのね。
僕がここで店を構えて仕事をしていることで、この地域の子どもたちには、将来の選択肢として靴職人という職業、あるいは物作りという仕事があるということを教えてあげられる。
やっぱり、子供の頃に仕事の選択肢をいっぱい持つことは大切だと思うから、将来の夢を広げることに協力できて嬉しいし、自分も大人としてしっかりしないとって励みにもなってる

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金澤さんから話を聞く中で、何度も「これなんて伝えたらいいのかな、うーん、説明するの難しいな」と言いながら、自分の頭の中を整理しつつ話されていました。
その姿から、この人は、靴を作りながら自分自身と向き合って深く物事を考えているんだろうな、そんな風に思えました。

自分自身にとっての靴作りの進歩のために、靴作りのスタイルを模索されている中で、「曖昧なもの」を作っていくという今の答えがこれからどう変化していくのか。
またお話を伺いに行くのが楽しみです。

金澤さん、ありがとうございました。またお邪魔します!

この記事を書いた人

小松 輝

小松 輝

1994年生まれ、徳島県出身。浦幌町担当スタッフ兼、KATALOG編集長。大学2年生の冬にRELATIONと出会い、大学卒業とともに浦幌町へ。総合旅行業務取扱管理者の資格を活かして、2019年春から旅行業をスタートさせます。いじられるのが好きで笑い上戸。何かとよく笑います。

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