声なき声を届けたいー未来うつぼ協会を支える高田麻衣さんの挑戦ー | KATALOG
声なき声を届けたいー未来うつぼ協会を支える高田麻衣さんの挑戦ー

声なき声を届けたいー未来うつぼ協会を支える高田麻衣さんの挑戦ー

ゲスト
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2017.04.05

皆さん、こんにちは!
フィールドディレクターの上田です。

4月は始まりの季節。新しいお仕事、新しい環境、新しい生活に、
わくわくどきどきしながら新年度を迎えられている方も多いのではないでしょうか。

そんなスタートの時期を迎え、私は事業担当者として関わらせていただいた
徳島県・海陽町と海陽町の方々と、
今年も共に活動していきたいなと思っています。

昨年度も、お祭りをはじめ、物産展や研修会など、
多くの海陽町行事に参加させていただきました。

その一環として、現在も、以前記事を書いた
「未来(ミラクル)うつぼ協会」の活動にも関わらせていただいています。

昨年発足したばかりの未来うつぼ協会。
「うつぼを世の中にPRする」というミッションをかかげて活動しています。

土曜の丑の日にちなんで「土曜の寅の日」(うつぼの模様が「トラ柄」なので)
を制定してうつぼのかば焼きを振る舞ったり、
うつぼ検定を開催してうつぼに関する知識を広めたり、
うつぼ丼イベントを打ち出したりと、その活動の勢いはウナギのぼりならぬ、
ウツボのぼりです(笑)。

今回は、未来うつぼ協会のいちファンとして関わらせていただく中で出会っ
た協会の立役者、高田麻衣さんをご紹介したいと思います。

発起人である海陽町地域おこし協力隊の栗田さんを
「うつぼ姉さん」と呼び慕う高田さん。

彼女がはじめて会った時に言った言葉が衝撃的すぎて、
その時から、いつかゆっくり話をしてみたいと思っており、
このたびインタビューさせていただきました。

 

もの申すうつぼ

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写真中央が高田さん、右側が栗田さん、左側が上田。

私が高田さんと出会ったのは、2016年10月。
毎年この時期に行われる海陽町の伝統的なお祭り
「大里八幡神社秋祭り」での女ダンジリに参加した時です。

この時、彼女はすでに未来うつぼ協会に所属していました。
そして「私はもの申すうつぼとして、うつぼを世に広めていきたい」
という、発言をし、私の心を鷲づかみにしたのです。

「もの申すうつぼ」って、一体どういうこと……?

実はその言葉の奥には、「地域の人が元気であってほしい」
という熱い思いがあったのです。

 

高田さんと海陽町の出会い

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鞆浦漁協で大敷漁体験。

出会った当初、高田さんは徳島大学総合科学部4年生でした。
専攻は憲法と国際政治学。
昨年夏に熊本へボランティアに行ったことがきっかけで、
防災に関心を持ち、学外の活動に精力的に参加するようになったそうです。

今では月に5日ほど海陽町を訪れている彼女が初めて海陽町を訪れたのは、
昨年9月に行われた町主催の5泊6日のインターンシップのとき。

そのインターンは、海陽町の「観光」と「産業」の2グループに分かれて、
それぞれの現状を理解し、課題設定をして解決策を考える、というものです。

そこで高田さんは、「産業」のグループを選びました。

初日の夕食会で偶然同じテーブルだった漁師さんに
うつぼのことや未来うつぼ協会の存在を聞いて「面白そうだな」と思い、
「産業」グループを選ぶなら漁業について取り上げたい、
絶対にうつぼについて調べよう、と決めたそうです。

高田さん「私が海陽町のインターンシップに参加したのは、
海陽町が南海トラフの被害を大きく受ける地域で、
そこでどんな防災活動が行われているのか、
地元の人がどういう認識でいるのかというのを知りたかったからです。
ただ、防災がきっかけで参加したけれど、
インターンシップで海陽町の産業について考えることが面白かったし、
興味の幅が広がったかなと思います」

うつぼについて調べようと決めた高田さんは、
さっそく未来うつぼ協会を立ち上げた海陽町地域おこし協力隊の栗田さんに電話取材をしました。

その後栗田さんと面会し、
珍しい協会と栗田さんのうつぼにかける熱い思いに心打たれ、
いつの間にか協会の一員に。

こうして本格的にうつぼ協会の活動をメインとして、
海陽町へ足しげく通うようになったのです。

 

うつぼを売るのが目的ではない

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海陽町のイベントでうつぼの天ぷらを販売。
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徳島市のイベントでうつぼをはじめ、海陽町の特産品を販売。

高田さんの未来うつぼ協会での主な活動は、広報と、人と人とを繋げること。
そういったことをしながら、広い視野でマーケティング活動などもしていきたいそうです。
協会のミッションにもあるように、世界にうつぼを発信していきたいし、
うつぼ文化というものを確立させたいという野望もあります。

高田さん「でも、ただうつぼを売るのが目的ではなくて、
その奥にある“海陽町の人”がうつぼを通して元気に、
幸せになったらいいなと」

では、高田さんにとって海陽町がどのようになれば、
そこに住む人たちが元気になったり、幸せになるのでしょうか。

高田さん「海陽町でもうつぼが価値あるものとしてはあまりみられていないというのもあって、
うつぼの価値を高めていって、
うつぼ産業というものが成り立つくらいにもっていけたら海陽町が盛りあがるし、
若い人も入ってくるかもしれない。
海陽町に住みたいなっていう人が現れたらすごく嬉しい。
一番はそこかな。
海陽町にはうつぼをはじめ、自然環境とか産業とか、それに携わる人など、
せっかくいいものがあるのに、どんどん衰退していってしまうのはもったいない。
防災の勉強やその活動をするなかで、“生きていてほしい”っていうのがまずあるので、
海陽町で頑張っている人に生きていてほしいし、自然や産業もいかし、残していきたい」

そう考える高田さんの目標は、
「一人一人が持っているものを最大限にいかすようにする」
ということ。
そのためには、自身には足りないものがたくさんあり、
もっと広い視野で物事を見ていかなければいけない、と感じているようです。

もっと知りたい。

彼女から何度もその言葉を聞きました。

 

事実だけではなく、真実を伝えたい

高田さん「こうなってほしいという声があるのに、
それがなかなか実現されんかったりとか、形にならないとか、
そう思ってる人の声を届けるっていうのが必要やなって思う。
自分でいうのも恥ずかしいけど、それが民主主義を作ってるんじゃないかと。
憲法とか政治学を学ぶなかで、いろんな人の意見があっていいし、
届かない声を届けたいと思うようになりました。
その声を聞いた人、知った人が行動したり意識を変えたりしてほしい」

自ら現場に足を運んで、事実だけではなく真実を伝えて、
それを見た人が次の行動に移せるようにという思いが彼女のコアにある。

声なき声を届けたい。
という思いを胸に抱く彼女の言動は決して理想論だとか楽観論ではなく、
とても具体的かつ現実的です。

うつぼを売る、PRするということはその一環。

私はそれを知って、彼女に初めて会った時に受けた
「謙虚なのか貪欲なのかわからない、とにかくユニークな人」という印象がガラリと変わると同時に、
本当に「もの申すうつぼ」になっていくんだなとしみじみと思ってしまったのでした。

最後に、「活動していくなかで困難にぶち当たっても、
広い視野で違う道を探していけばなんだってできる気がする」
と目を輝かせながら言ってくれた高田さん。

その言葉に共感するとともに、
高田さんしかできない道をどんどん切り開いて、
ぜひもの申していってほしいなと思いました。

きっと彼女の行動が、誰かの次の行動のきっかけになる気がしています。

 

《こちらの記事もどうぞ》

「うつぼを世界へ」というミッションを掲げ、未来うつぼ協会が発足したときの記事。
海陽町から世界へ! 未来うつぼ協会発足!

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