― 原点の風景と、つながりを紡ぐ稲刈り体験 ―
徳島県神山町、上分江田集落。
ここに広がる棚田は、私たちリレイションにとって「原点」と呼べる場所です。
十数年前、代表の祁答院弘智がひとりで、田んぼを耕し始めました。忘れられていた風景に再び命を吹き込むように、土を耕し、苗を植え、水を引く。泥にまみれながらも、身をもって、途絶えかけた米づくりを蘇らせようとしました。
それは効率とは無縁の挑戦でしたが、そこで気づきを得ます。
学びは実体験から深まること。働くことは暮らしの一部であること。多様な価値観と出会うことの意味。仲間と共に取り組むことの大切さなど。
この気づきがやがて「神山塾」につながります。人と人が出会い、共に働き、学び合う場。その構想の芽は、江田の棚田から生まれたのです。

そして、棚田はその後も、多くの人をつなぎ続けてきました。
神山塾に集った若者たちは、この棚田で汗を流す中で「働く」ことの意味を学びました。都会から来た塾生にとって、土に触れ、自然と向き合う経験は初めてのこと。最初は鍬の持ち方もぎこちなく、腰を痛め、泥に足を取られたこともあったでしょう。けれど、仲間と声を掛け合いながら田んぼに立ち続けるうちに、確かな自信と手応えを得ていったのです。
また、地域の方々との交流もこの棚田を通じて育まれました。
優しく声をかけてくださる地元の方々。作業の合間に一緒に食べるお昼ごはんの味。そうした触れ合いの中で、塾生たちは「地域に迎え入れられることの温かさ」を知り、神山という町を自分の居場所として感じるようになっていきました。
棚田は単なる農の場ではなく、人をつなぎ、心をひらく「架け橋」だったのです。

先日、その大切な棚田で、私は稲刈りをお手伝いさせていただきました。
現在、この場所を守り続けているのは、神山塾OBの植田彰弘(あっきー)さんと兼村雅彦(まさ)さん。祁答院がひとりで挑んでいた頃以上に、丁寧に、誠実に、この風景を未来へつないでくださり、「エタノホ」という名で棚田米を作っておられます。
炎天下の中、初めての稲刈りに挑んだ私は、すぐに汗だくになり、腕も足も悲鳴を上げました。一応アスリートだったはずなのに、体力には自信があるはずだったのに、軟弱な自分が本当に情けなく感じました…ほんの数時間の体験で体は疲れ果て、改めてお二人が日々続けている営みの重さを実感しました。
そして、太陽に照らされる稲架掛けの景色を見たとき、「働くとはこういうことなのだ」と腑に落ちました。体を動かし、仲間と協力し、自然と向き合って初めて得られる実感。机上の学びでは届かない「生きることの根っこ」に触れた気がしました。

江田の棚田は、祁答院が自らの原点を刻んだ場所。
そして今は、多くの人が自分の原体験を見つける場所でもあります。
ここで汗を流した神山塾生は、自分の暮らしや仕事の価値観を変えていきました。地域の人は、外から来た若者を受け入れ、町に新しい風を招き入れてきました。棚田は、人と人をつなぐ「土台」として、静かにその役割を果たし続けているのです。
今回の稲刈りを通じて私が感じたのは、まさにその「つながり」の力でした。
棚田再生の挑戦があり、あっきーさんやまささんの営みがあり、そこに地域の方々の支えがあり、そして私のように関わらせてもらえる人がいる。その積み重ねが、未来に残したい風景を形づくっているのだと。

十数年前の小さな一歩が、いまや多くの人の歩みへとつながっています。
江田集落の棚田は、原風景であると同時に、地域と外の人をつなぎ、仲間を紡ぎ続ける「未来への架け橋」なのです。
汗をかき、土に触れ、仲間と働くことでしか得られない気づきがあります。
その気づきが人を変え、つながりを生み、まちを育て、未来を形づくっていく。
私はこの棚田に、改めて大切なことを教えられました。
そして、これからも多くの人に、この風景の中で自分なりの気づきを見つけてほしいと願っています。
あっきーさん、まささん、貴重な体験をさせていただきありがとうございました。
👉 棚田始まりの物語は、こちらの映像からもご覧いただけます。
祁答院弘智が語る江田の棚田(YouTube)
この記事を書いた人
中岡 直子
徳島生まれ徳島育ち。神山塾16期を経てRELATIONスタッフに。 銀行勤務が長く、前職は製薬会社でMR。 3人の母でそろそろ子育てから解放予定!!今までは誰かのために生きてきたけれど、これからは自分を大切に、大好きな人達と居心地のいい場所で、毎日ご機嫌に過ごしていきたいと思う今日この頃…。アシスタントとして代表を支えられるように日々頑張っています。
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