「深海魚」が集まる町-徳島県海陽町-

「深海魚」が集まる町-徳島県海陽町-

本間 太郎
本間 太郎

2020.12.15

初めまして!この度、KATALOGの徳島県海陽町ライターを担当させていただくことになりました、本間太郎(ほんまたろう)と申します。

私は現在、東京外国語大学という、外国語を中心に勉強する学校でインドネシア語を専攻しています。
大学3年の秋から1年間休学し、2020年の10月から復学しました。
休学期間だった今年の2月より徳島県海陽町に滞在しており、現在は大学の講義をオンラインで受けながら、海陽町で色々活動しています。

ちなみに、トップ写真は、海陽町の藍染めスタジオ&カフェ in Between Blues で藍染め体験中の一枚です。

本記事では、自己紹介に加え、海陽町と私の関係について書かせていただきます!

鎌倉で過ごす学生期と将来に迷う大学期

私は神奈川県鎌倉市で生まれ育ちました。「古都」や「湘南の海」といったイメージが強い観光地ではありますが、私は北鎌倉という寺院が多い、静かな場所で生活を送っていました。

小中学校では地元にフォーカスした地域学習を行ったり、高校では江ノ電で通学し、常に湘南の海を望む、まさに鎌倉の良さを謳歌する学生時代を過ごしました。

高校から徒歩5分で望める景色。

高校卒業後は東京外国語大学という、言語や国際社会について学ぶ大学に進学しました。
専攻語はインドネシア語。ちなみに、芸能人の光浦靖子は同じ大学・同じインドネシア語専攻の出身です。

人生に迷い出す本間太郎

大学2年の夏。先輩のインスタグラムの投稿で、地域の経営者のもとで経営を学ぶ実践型インターンシップ「地域ベンチャー留学」の存在を知りました。

地域ベンチャー留学の説明会に行くと、「日本で一番自殺率が低い町」(※)と紹介されていたのが海陽町でした。

※参考リンク
全国で最も自殺率の低い町、徳島県の海部町って?他人を気にしすぎない事がええんじょ。

海陽町は徳島県の最南端に位置し、高知県との県境にあります。

人口は約9000人(2020年11月30日時点)で主要産業は農業や漁業、そして林業。サーフィンをはじめとするマリンスポーツが非常に盛んで、夏場には多くのレジャー客が町を訪れます。

写真提供:戎谷真一さんとダイビングスクール「海底少年」さん

町が紹介された時は、「一見よくある田舎町だなあ。自分はサーフィンもやらないし、そもそも遠い」と思いつつも、「自殺率が低いってどういうことだろう。そもそも人がいないだけじゃないの」などなど興味が次々に湧き、気付いたら海陽町に行くことになっていました。

海陽町での生活はあっという間に過ぎました。ゲストハウスで広報活動をしながら林業、農業、漁業といった一次産業と触れ合い、何よりも多種多様な海陽町民に毎日出会いました。

四国最古の禅寺、城満寺で座禅体験をした時に住職の方が仰っていた「海陽町には深海魚みたいな人がいっぱいいる」という言葉が印象的でした。

「良し悪しに関わらず、世間一般の大半の人間が近海で群れを作るアジやイワシだとすると、海陽町の人は深海魚。深海魚は深海でコアな繋がりを持った仲間がいる」

当時大学2年生の本間はそんな記述を残していました。
今でも深海魚みたいな人たち多いなと感じます。海陽町。

もちろん良い意味で。

地域ベンチャー留学」で受け入れてくれたオーナー一家との1枚。

「東南アジア青年の船」に参加した本間太郎

海陽町での生活から1年後、2019年の夏より、1年間の休学申請を済ませ、内閣府主催の「東南アジア青年の船」という青年国際交流事業に参加しました。

この事業はざっくり説明すると、18〜30歳の青年が日本とASEAN10カ国から約280人集まり、船内で共同生活を送りながら日本を除く4カ国に寄港し、各国の文化紹介や国際的な問題について討論を行うことで国家間の相互理解を進めようというものです。

船内で撮影したグループ写真。
ミャンマーでホストファミリーとの一枚。後ろにある船が、乗船していたにっぽん丸。

これもまたまた先輩のインスタグラムの投稿で事業の存在を知り、「内閣府の事業でスーツ着れるってカッチョええな」という思いで参加しました。
誰かのインスタによって人生動かせられがちかもしれません。本間太郎。

この事業で得たものはさまざまありますが、何よりも自分の得意分野を活かし、他の誰かと何か良いものを作り上げていく経験や能力が欠けていると感じました。

インドネシア語がちょろっと話せるとかではなくて、もっとこう何か、自分の軸になるもの。
特技がない、専門的なスキルがない。なんとなくコンプレックスに感じていたものが、事業後に如実に自分の中でふつふつ湧いているのを感じました。

自分の軸はこれ。〇〇が得意だから△△を一緒にやろう。

これを胸張って言うにはどうしたら良いのだろう。

再び海陽町へ戻ってきた本間太郎

答えのない問題に直面し、抜け殻みたいになっていた今年の1月、地域ベンチャー留学時代にお世話になったゲストハウスのオーナーに相談したところ、「良いからこっちにおいで」と町に誘ってくれました。

すぐに夜行バスを手配し、海陽町に向かいました。

1年半ぶりに会った私をオーナーは笑顔で迎えてくれました。

1ヶ月ほど、ゲストハウスに居候し(オーナーの実家が自主リフォーム中だったのでオーナー家と同居)、以前知り合った海陽町の人たちにまた会いに行きました。

特にこれがってものもないけれど、自分が自分に優しく接していられる環境や、自分を認めてくれる人たちと生活を共にするだけで、なんとなく心が軽くなっていった感覚を覚えています。

雲はゆっくり流れ、波が岸に押し寄せては引いていく。

当たり前の光景でも、当時の私にとっては自然が動いている様を感じる特別な時間でした。

ゲストハウスの近くにある田んぼ。
廃材を燃やしながらオーナーと焼酎を飲んだ。

「そろそろ鎌倉に帰るか、これからどうしようかな〜」と考えていたところ、地域ベンチャー留学の時にゲストハウスと私を繋いでくれた海陽町のコーディネーターに、地元高校の学生寮のハウスマスター(寮母)をやらないかと誘われました。

「休学も半年残っているし、やろう。」

即決し、海陽町滞在を延長しました。

そして現在に至ります。

ここまでの8ヶ月間でいろんな経験をしました。

牡蠣の漁場整備、オクラや玉ねぎの収穫、廃屋の解体、ウェブサイト開設、などなど。これらは東京にいたら経験できないことだと思います(あくまでも個人的な意見)。
血気盛んな男子高校生10人との同居は熾烈を極めました(毎日が修学旅行並み)。
そのお話はまた次回以降、機会があれば(笑)。

男子高校生と同棲した民間の学生寮「寄宿舎 青」

現在は海陽町を拠点に地方の魅力を形にして発信している「Disport」という会社でふるさと納税のサポートや、ECサイトに使用する画像編集やグラフィック作成などのデザインのお手伝いをさせていただいています。

毎日が学びの連続です。

今、海陽町で考えていること

ここまで自己紹介と海陽町との関わりについて簡単ながら書かせていただきました。

内容をざっとまとめると、
・インドネシア語の勉強を始める
・短期ではあるが語学留学などを経験(ここまでは外大生らしい生活)
・海陽町で開放的な暮らしを経験
・東南アジア青年の船事業に参加
・海陽町再訪
・学生寮のハウスマスターをしながら0円生活(農家さんや漁師さんを手伝い、食材を分けてもらう生活)
・海陽町の企業・Disportにてインターン

海陽町との出会いが大学生活を大きく変えたのは言うまでもありません。

自分の軸はこれ。〇〇が得意だから△△を一緒にやろう。

「自分らしさ」や「自分だからこそ提供できる価値」は自分の中でまだまだ見つからないし、見つけられないかもしれません。それもまた一つの答えかな、とも思うようになりました。

それでも一つ、確信しているのは海陽町にはこの町にしかない魅力があるということ。

とりあえず、深海魚みたいな人はいっぱいいます。

今後、私の視点から見た海陽町を感じたままに記録していきたいです。

語る。くつろぐ。記録する。

KATALOGが大事にしていることは自分に共通するところが多々あり、記事作成に自分が関わらせていただき、とても嬉しいです。

海陽町の面白さや魅力を私の視点で少しでもお伝えできれば最高です!

これからよろしくお願いします!

この記事を書いた人

本間 太郎

本間 太郎

神奈川県鎌倉市出身。インドネシア語を専攻する東京外大3年生。 大学の講義をリモートで受けつつ、徳島県海陽町で活動中。 将来に一抹の不安を感じつつ、生命力溢れる海陽町からエネルギーを貰う生活にハマってもうすぐ1年。 オクラの収穫と鉄パイプに穴を開ける早さには自信あり。 クリエイティブな人間になりたいです。

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