みなさん、こんにちは、スタッフの小松です。
ゴールデンウィークはいかがお過ごしでしょうか?
この時期、五月病というものもありますが、
健康維持のためにしっかりと休むことも大切ですよね。
僕も気を引き締めながらも、小休憩をとろうと思います。
さて、少しばかり遡りますが、大学を卒業直前のこの3月に、
3週間ほど時間をもらってアジアを旅してきました。
今回から前・中・後編の3回に分けて、その旅行記をお届けしたいと思います。
前編の今回は、中国編です!
海外を見てきなさい
今回、アジアを旅行することができたのは、リレイションを応援してくださっている方から、
卒業祝いとリレイション入社祝いとして、
「今後の仕事に役立てるために、海外を見てきなさい」
と資金をいただくことができたからです。
アジア諸国からの訪日客数は増加傾向にあります。
日本へ観光しに来る人たちがどんな環境で暮らしてどんな価値観を持っているのか、
自分の目で見て触れておくことで、日本の良さを再確認できるのでは。
また、生活のインフラが整っていて便利な日本から出て、
そうではない環境へ行ってみて、人間としての幅が広がればいいなと考え、
目的地にはアジアを選択。
中国の北京から電車とバスを乗り継ぎながら、
ベトナム、ラオス、タイへと移動して4カ国を巡る計画を立て、
2月末に日本を旅立ちました。
不安という気持ち
初めての中国。降り立った場所は、北京。
北京の街は、空気が排ガスで汚れていて、
街ゆく人たちは皆マスクをしているイメージがありましたが、
全然そんなことはなく、東京と変わらないような自然環境でした。
とはいうものの、主要言語は中国語。
中国語のハンドブックを持ってはいましたが、
容易にコミュニケーションが取れる場所ではありません。
北京空港から北京駅まで移動して、予約していた宿を探すのですが、時刻は夜の9時。
移動疲れもあったため、タクシーに乗って宿まで行くことにしました。
深く考えずに、タクシー乗り場で声を掛けられたおじさんに、
スマートフォンを使って宿の名前を見せると、OKのサイン。
いざ乗り物の前まで来ると、自動車ではなく三輪車であることに気づき
一瞬戸惑いはしたものの「これも経験」と思い切って乗ってみることに。
走っていると、道端で立っている人の前で停まり、
何やら話かけている運転手。
「さらに客を拾おうとしているのかな?」と思っていたら、
なんのことはなく道を聞いていたのです。
「さっきのOKサインはなんだったんだ……」
と思いながらも、笑うことしかできせん。
宿の近くまでに連れていかれ、
「ここで降りて歩いていけば大丈夫」という指示。
夜の10時、辺りはすっかり暗くなっていて、
開いているお店も閉店準備をしているような街道に降ろされるなんてあんまりです。
そう思っていても仕方ないので、運転手に高めの運賃(明らかに高かった)を支払い、
スマートフォンで地図を見ながら宿を探すのですが、見つかりません。
早くも街中で迷子になるという、外国の洗礼を浴びてしまったようです。
どうしようかと悩みましたが、誰かに道を尋ねるしかありません。
意を決して、明かりのついている店の中に入り若い男性の店員に英語で尋ねてみると、
検索して、道を教えてくれたので、なんとか宿にたどり着くことができました。
見知らぬ土地で、言語もほとんど通じない状況にいて、
ふと思ったのは、今の自分は圧倒的に弱者だなということ。
道も分からず、どこでご飯を食べることができるのか、
何が安全で何が危険なのか、
何をするにしても不安な気持ちを抱えながらでした。
そんな中で、できることは誰かに話しかけて助けてもらうということ。
道を尋ねることからはじまり、その日泊まる宿を一緒に探してもらったり、
警察官にバス停を尋ねると、バイクに乗せて連れて行ってもらったりと、
たくさんの人に頼り助けてもらいました。
お世話になった分、僕も返さないと! と今は思います。
美味しくご飯を食べること
日本にいる時なら、外食をしようと思えば、特に下調べをしなくても、
外観から和食のお店なのか洋食のお店なのかわかります。
店内に入ればメニューを見るとどんな料理があるのか、
値段もわかって意図も簡単にお腹を満たすことができていました。
それが、中国に来たとたんに難しいことになってしまったのです。
お店1つ選ぶことから、料理を注文することも上手にはできないもどかしさ。
少しずつ慣れてはいったものの、夕食を食べることでさえ僕にとってはチャレンジとなっていました。
中国の青島市で夜ご飯を食べたときのこと。
青島は魚介類が美味しいということ知っていたのですが、
どの店も地元の人たちの店という感じで、
外国の観光客が気軽に入れそうな店があまりありませんでした。
一時間ぐらい街中を歩きながら店を選び、
思い切って入ってみると、予想どおりに英語が通じません。
身振り手振りで説明して、メニュー表をもらいます。
メニューを見てわかる情報は料理の写真だけ。
名前もわからなければ味もわからず、値段も記載されていないので、
辛かったらどうしようとか、ぼったくられないだろうかとか、
不安な気持ちに駆られます。
なんとなく見た目で食べられそうなものを、4品頼みました。
席について、有名な青島ビールを飲みながら料理を待っていると、
出てきたのは大皿に盛られた料理が4皿。
「そうだった、ここは中国なんだから一皿の量が多いことなんて、
中華料理のお店で出てくる料理を思い出したらわかることだったじゃないか」
と食べる前から後悔してしまっていました。
やはり、不安は的中して香辛料がたっぷり。
しかも辛くないと思っていたものが、一番辛かったりと散々。
結局、食べきれずに4皿のうち2皿を半分ほど残して、お店を後にしました。
お腹を満たすことはできたのですが、思い通りにできなかったことに納得できない自分がいました。
ご飯を食べることに苦労した経験があったことで、
それ以降思い通りにご飯を食べることができると達成感が得られるようになりました。
日本にいると些細で小さなことかもしれませんが、
こんなことからも達成感を得ることができて、
自分に自信をつけるきっかけになるんだという発見がありました。
ゲストハウスでの出会い
宿泊場所は、ホテルとゲストハウスを使っていました。
杭州市でゲストハウスに宿泊した時は、同じ宿に泊まっている人に声をかけらました。
話をしているうちに仲良くなり、夕食に誘ってみることに。
ジンさんという名前のその人は、
大学を卒業してソフトウェアの開発の仕事に就いていて、
契約社員として一年契約で各地を転々としながら働いているそうです。
「今は抗州という所で働いているけど、7月になったらどこで働いているかわからない。
家は高くて借りられないため、ゲストハウスを家の代わりにして暮らしている」
と言っていました。
そんな若者が、中国には多くいるそうです。
故郷は安徽(あんき)省という地域の田舎町とのこと。
都会に仕事があるから出て来ているという話を聞くと、
中国も日本と同じように、地方から都市部へ若者が出て行って、
人がいなくなってしまうという都会と田舎の関係があるのかもしれないと考えていました。
食事を終え、お金を払おうとすると、なんと僕の分まで払ってくれました。
ご馳走しようと思っていたぐらいだったのに、
まさか逆に奢ってもらうことになるとはまったくの予想外。
ご飯をご馳走になるということのありがたみをいつも以上に感じ、
たくさんの人に助けられていることを実感した出来事でした。
言語が通じない環境の中、毎日が初めてのことばかりで挑戦の連続。
日本にいる時は当たり前にできていることでも、
行動するハードルが高く感じられました。
その分、食べることや話すこと知るという簡単なことに対して、
「できた!」という達成感がありました。
自分の中で、うまくいったりいかなかったりを繰り返し、
達成感を少しずつ蓄えていきながら、
「可愛い子には旅をさせよ」の意味を身をもって知ることができたように思います。
そんな風にして異国の地をドキドキしながら歩きまわったアジア旅行記の前編を、
ここで終えたいと思います。
次回ベトナム編は来週公開予定です!
お楽しみに。
この記事を書いた人
小松 輝
1994年生まれ、徳島県出身。浦幌町担当スタッフ兼、KATALOG編集長。大学2年生の冬にRELATIONと出会い、大学卒業とともに浦幌町へ。総合旅行業務取扱管理者の資格を活かして、2019年春から旅行業をスタートさせます。いじられるのが好きで笑い上戸。何かとよく笑います。
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